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zoom RSS 昨日は阪神大震災記念日

<<   作成日時 : 2009/01/18 17:59   >>

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 1月17日は平成7年におこった阪神大震災のメモリアルデーだ。あれから14年もたったのだなあ・・

 あの年の秋に、妻の神戸の父が心筋梗塞で倒れた。かなりの重症でようやく退院しても商売(小さな呉服屋)をすることができなくなったため、店じまいの案内を作ったり、年末まで在庫処分のセールをやったりしていた。正月は家族で帰省して、「厄年は7つの鳥居をくぐるとよい」とか言われて、すぐそばの生田神社の御旅所から兵庫の恵比寿様、生田神社本社をはじめ近くの神社巡りをしたものだ。

 17日の早朝、妻の妹の電話でたたき起こされた。「神戸で地震?家がつぶれた?」テレビをつけても詳しいことはさっぱりわからず、義父母は2階に寝ていたので助かったということだけしかわからなかった。義母は助け出されるときに、埼玉に引っ越したばかりの妹の転居案内のハガキだけ持って、10円玉を借りて電話したそうだ。その機転がなければ安否すらわからなかっただろう。
 テレビで少しずつ現地の様子が映し出されるにつれ、あまりの惨状に目を覆うばかりだった。実家のすぐそばの、それこそ数十メートル先の、地下を電車が走る大開通は陥没したと言うではないか。すくそばでは火事も起きていた。避難所と思われる学校の様子を知りたくて、テレビの空撮をビデオにとって確認したりもした。

 3〜4日後に妻が神戸に。とりあえず義父母は垂水の姉夫婦宅に身を寄せていたが、水道もガスもない。電気はまもなく復旧したが、団地でガスがないのはつらい。7日後に交代して私が神戸に。姫路の実家からプロパンガスボンベとコンロを持って行ったことを覚えている。

 兵庫の実家は完全に崩壊。義父母は手回しよく舞子のアパートをみつけて仮住まいをしていた。正月はほとんど死人のような顔色だった義父は、危機に瀕して最後の力をふりしぼっていたと思うが、自転車に乗るほど元気。もう歩けないと言われていたのがウソのようだった。自宅を建て直したいという悲願がそうさせていたものと思うが、残念なことに立て直したとたんに衰弱して、自宅にはほんの数日しかいられず、介護施設を転々として亡くなった。その家も老母一人では借金が払えず、昨年売り払ってしまった。

 幸い、市役所時代の友人からいろいろと情報を得ることができたので、早めに解体して家財や反物をある程度持ち出すことができた。解体の業者の選択や補助金の支払い方法がたびたび変更になったので、早めの対応は助かった。

 東京では、いろいろな人から救援物資を送りたいという依頼があり、市役所の友人を通して届け先をみつけたり、救援物資担当の知人からは「缶切りがない」というリクエストがあり、仕事でつきあいのあったツバメの金属ハウスウエア工業組合に頼んで、大量の缶切りを送ってもらったこともあった。
 2週間後に再び現地に行って、トイレボランティアをやった。その前年に神戸で国際トイレシンポジウムを開催したご縁もあって、各地からボランティアが駆けつけてくれた。避難所や公園のトイレ清掃と仮設トイレの状況を調べるのが役目。毎朝、ハーバーランドの広場に集まって、トイレ掃除用具をかごに乗せた自転車部隊が出発するのは壮観だった。

 震災の街は異様な高揚感があって、悲壮感はほとんどなかった。周りの人はみんな助け合って生きていて、善意に満ちあふれた雰囲気があった。震災ユートピアというのだそうだが、言い得て妙である。あのときのことを思い出すと、複雑なさまざまな感慨が湧いてくる。震災で人生が狂ってしまった人も、身近にいる。市役所の知人には自殺した人もいる。1月17日は、当地にいた人だけでなく、被災地に関わりのある大勢の人にとっても人生に大きな影響をもたらした日だ。

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内 容 ニックネーム/日時
高知は日本沈没という映画がありました。98年は豪雨災害そして神戸の震災が機に水さえあれば防火、トイレ、飲用水何も避難所に行かなくてもよい、東南海地震災害予想額東京直下型地震では112兆円膨大な避難所建設などもっと先手を打てないものかと私なりに『雨水貯留飲用水造水装置』を考案いたしました。災害は忘れたころにやってくる、常に予防では!
高知の設備屋
2009/03/02 22:50
東京マグネチュード8。0いう防災新聞のネットでいつ来てもおかしくない地震大国日本住んでいる私たちですか゛56才です。阪神大震災の明石駅のホームの上で地震を体験しました。震災サバイバルの講師をやっております。避難者(サバイバー)なって一番困ったことは食う・寝ることよりも「出す!」の場所と処理です。
ニックネーム高知の設備屋さんのコメントのとおりで、都市の集合住宅や会社超高層ビルにいても一軒家にいても、トイレバニックから安心、快適にサバイバル生活をできるのはトイレの水の確保が最重要課題です。
克服できる物はないですか!
私なりに、トイレバニック危機管理に使えるフローチャート作りをやっております。先手を打て!!トイレパニックビジネスの仕組み作り中です、またまたよろしければ意見・情報交換をしましょう。
山本耕平先生 様にも今後ともよろしくお願いいたします。
ラッキー田代
2009/10/28 13:16
間の抜けたコメントになってしましましたがお許しください。震災はまず命を守ることが第一ですが、助かった後の最も重要な問題はトイレだと思っています。阪神大震災でも飲み水や食べ物はなんとかなったのですが、トイレだけは外部からの仮設トイレ支援が来るまで大変苦労したということです。ぜひアイデアを実現してください。
災害トイレは大事です
2009/12/31 20:00
国会も対処療法で紛糾している毎日ですが、春は普通のように?巡って・・・?電気自動車も早くも価格破壊が! 人の幸せについてよくアフリカの子供たちの屈託のない笑顔がよく報道に出ますが、あの子供たちは1キロも2キロも水運びをしてそのことをお母さんに褒められあのような顔ができるのです。日本人がすべてとはいいませんがどうしたらそのような顔ができるでしょうか?・・・答え・・・高知で農業をすることです。理由は着てみればわかります。・・・少しヒント・・・あったか高知 人も 心も あったかです。
高知の設備屋
2010/03/31 08:33

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