お盆前の週末から3日ほど神戸、姫路に帰った。中三の娘が一人で神戸の家内の実家に居候しているので、様子見と義父の墓参、姫路の両親の様子を見に帰った。家内の実家は兵庫区の大開というところ。すぐそばに三宮の生田神社の御旅所(神様が巡行するときの休憩所?)兵庫宮があり、兵庫駅前から御旅筋商店街があった。あったというのは震災以降、商店街はなくなってしまったからである。アーケードはなくなり、飲食店だけが細々とある。 実家は小さい呉服屋で、向かいはチェーンの電器店だったが、店はつぶれて今も空き地のままだ。このあたりも被害は甚大で、通り筋の家はほぼ全壊。朝早く仕事をしていたパン屋さんは下敷きになって死んだ。 実家の隣も空き地のままで、みんな駐車場だ。地下を走る神戸高速の大開駅は陥没したところだ。山手の方にあがると松本通りというところがあり、そこは火事で丸焼けになった。このあたり、歩いてみるとまるで新興住宅地である。それもはっきり言って安普請のプレハブ住宅が目立つ。 実家の界隈は復興に際して公的な支援がほとんど講じられなかったところで、復興計画にも含まれないいわゆる白地地区である。区画整理や再開発の手はさしのべられないまま、自力で住宅や店舗を再建せざるを得なかった。そのために、所有者が高齢者の場合は住宅の再建をせずにそのまま空き地になっているというわけである。 神戸には10年たってもまだ爪痕が消えないところがあちこちにある。被災地をたどるための観光地図はないのか、と市の案内書で聞いたことがあるが、つくっていないそうだ。あの時大勢の人がボランティアなどで神戸に来た。そういう人たちが復興した神戸を旅行で訪れることもあるだろうに、地図もつくっていなというのは怠慢ではないか。もっとも、未だに残る爪痕を隠したいという思いがあるのかもしれないが・・ 震災で人生が大きく変わった人は少なくない。かくいう自分の身内もそうである。10年という歳月は、何もわからずに正月を過ごした家が解体されるのを見ていた娘が、一人で神戸に行くことができるほど成長する時間である。しかし未だに空き地が点在する光景を見ると、町が完全に復興するには短すぎる時間だということだろうか。 商店街の看板だけは新しくしたようだが、商店街の復興はなっていない。 実家前の空き地。震災前は通りに面したところには電器店、その奥にはアパートがあった。街灯と看板は震災前のまま。傾いたまま放置されている。 空き地があちこちに残り、駐車場になっている。 |
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当時私は神戸市長田区に住んでおりました。 |
エコハウスキーパー 2006/08/30 13:52 |
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